コブラ三木谷が数えられます。彼は途中から参加してくるセリフのない竿役なのですが、独特すぎるボリューミーな呼吸音 ..


細かい雨が降る中の歩きだしでした。サルオガセがいっぱい下がったカラ松林は、折り重なる倒木の上に分厚く苔が一面の絨毯のようになった重厚なコメツガの森へと変わり、それがツーンと独特の香りのするシラビソへとなっていきました。見上げても全く展望がなく、山容さえも判らない天候の下で、山に登る者の目は、どうしても森に向かいます。少しずつ上がっていく標高に合わせて森も姿を変えていきました。緩やかだった斜面が傾斜を増してゴーゴーと吹きすさぶ風の音が響き、八ヶ岳から続く稜線の一角である将軍平へと登り着きました。そこからの山頂への道は濡れた大きな岩の中の厳しいものです。周囲はシラビソからダケカンバに変わり、それも疎らになって森林限界を迎えました。サロメチールの味のするシラタマ、ブルーベリー、酸っぱいガンコウラン。秋の小さな木の実の生える森林限界です。強い風、濃いガスの中に広々とした火口のある山頂に立ちました。ソソクサと立ち去る山頂。一歩一歩、ゆっくり慎重に降ります。再び森の中。木々が守ってくれる安心感をかみしめながら降りました。
雨が降ったり止んだりの一日。ついに、その山容さえも見ることのなかった蓼科山です。でも、一方で期待していなかった紅葉と秋の気配、もう、汗ひとつかかない冷え冷えとした山の中り空気を味わいました。天狗の露地から見上げた斜面は濃い針葉樹林の間に色とりどりの見事な紅葉を見せていました。


コブラ三木谷分割 [その他] 削除要素がわからないので分割にします.

何台かのクルマの駐車した矢立石前からの尾白川に沿った林道は足元を見ると白いキレイな砂の道でした。この周囲の山々が全てそうであるように花崗岩の山であり、山腹も斜面もそして林道までも風化した花崗岩の中にありました。所々ではるか下からの谷の音が聞えます。ゴーという音は名水で知られる尾白川の流れです。ヒンヤリとした空気が霧と共に流れてきます。何本かの渡った沢の中にとりわけ雄大な滝をかける沢・・・それが錦滝の沢でした。まだ、紅葉こそしていないものの、頭上を覆う木々はカエデを中心とした広葉樹。錦繍の景色が遠くない日にやってくる・・・だから錦滝なのかな?と思わせる光景でした。そこからの登りは急でした。左側・錦滝によったほうは切り立ち一歩一歩慎重に登りました。いつしか、木々はコメツガやブナの高山性のものに変わり、深山の趣のなかの道でした。傾斜が落ち、右側の沢のほうにトラバースを始めることわずか、今、生れたばかりの冷たい水の湧く谷筋へと降り立ち、その上には明るい砂漠のような花崗岩の原がありました。暗い森から明るい眩しい白砂の道へ!歩きにくさも気にせずにグイグイと登り切り稜線に飛び出すと目の前には「山梨百名山」に指定されながら不人気の雨乞岳がありました。背後に連なる大岩山から鋸岳、甲斐駒ヶ岳が姿を出さないか・・・とチラチラ見ながら釜無川へと大きく岬の様に突き出した日向山に到着です。期待した大展望はないものの、開放的な山頂は静かでステキでした。

生藤山は1000mに満たない小さな低い山です。三頭山から東へと伸びる甲武相国境尾根・・・・高尾山で終わり、山梨、神奈川、東京を分ける尾根の一角にある山です。今回、訪れた秋川そのものが、奥多摩主脈とこの尾根とに囲まれた穏やかな美しい渓谷です。狭い谷筋に点々と集落を点在させ、里山の雰囲気を強く残した谷筋です。南秋川は奔流そのものは流れも穏やかで、そこに流入する盆掘川、小坂志川、矢沢・・・などは美しい川床を見せてサラサラと流れます。にもかかわらず、その支流の枝沢は急峻で、大きな見応えする滝をかけて、「こんな里に近い山に、こんな滝があるのか!」との思いを新たにさせられます。今回、前夜からの強い雨に、安定した沢筋を持つ軍刀利沢に向かいましたが、この沢も出合の穏やかな表情と、次々と現れる沢山の滝との雰囲気がちょっと違っているのが魅力です。出合からの縞模様の岩肌。小さいくせに登りにくい滝から始まって、飽きることなく、次々と滝が現れました。10m前後の滝であっても、幅広い物が多く、サラサラと落ちる姿は優美で威圧感はありません。ある時は直登し、ある時は高巻き、一つ一つ出てくる滝を越えていく爽快感は独特です。中にはシャワークライムを強いられる手強い滝もありました。水がなくなり、靴を履き替えて僅かで、上が明るくなり、三国峠に飛び出しました。小雨混じりの曇り空でしたが、それでも、御坂から丹沢の山々が冴えて見えて、谷底を歩いてきた者の目には新鮮でした。登山道とは違う刺激を一杯くれた軍刀利沢でした。

制作/三上鮎味(お座敷コブラ)・伊藤綾佳 演出助手/沖玲奈 出演/青木和広・沖 ..

大きな尾根、雄大なルートを最も魅力ある形で登れたことを嬉しく思います。上高地から1000mの標高差を制圧し、水俣乗ッ越しに至り、再び1850mまで下降し、そこから槍の山頂を目指す・・・・。力勝負の大きな登山を達成した充実感で一杯です。本州中部全体に言えることなのでしょうが、山全体が乾いている印象を持ちました。いつもは滔々と流れる梓川は伏流と化し、槍沢に流れ込む多くの沢も枯渇していました。多くの人が通過するようになり、登山道の様になった乗ッ越しからのルートも、北鎌沢が涸れ沢になっているのに驚きました。それよりも何よりも驚いたのは、あの北鎌尾根に挑むパーティーの多さでした。数年前までは、三連休でも二~三パーティーのみ。時としては僕達以外の姿を見ないこともありました。北鎌ノコル。ここから赤く熟したコケモモをつまみ食いしながらのルート。大きく立ちはだかる独標は、数年ぶりに正面から挑みました。巻きルートと違い、独標へとダイレクトに挑む素晴らしいルートは背後にどんどん広がる大展望の中にありました。そして、グイグイと大きく成長する穂先へと一歩一歩、近づいていくあの独特の高揚感、達成感・・・・。山頂へと突き上げる嬉しさ・・登山の持つ本質的な物がギッシリと詰まった素晴らしい三日間でした。 ※遭難との遭遇の中で、みんなが冷静に他のパーティーの助けになったことに本当に感謝しています。

「沢は生き物である」。大好きで親しんできた谷に何回も入る内に実感することです。この六月、遡行した時の東沢釜ノ沢は、その間に何か大きな鉄砲水などがあったらしく、随所に倒木の山を築き、土砂が堆積し様子を変えていました。ちょっと浅くなってしまったホラの貝のゴルジュ。手前から大きく姿の見えた東ノナメ。でも、川から谷、そして、沢へと段々若返っていくこの谷の持ち味は相変わらずでした。水量が少なかったのが残念でしたが、魚止ノ滝から続く千畳のナメの優美な姿は、やはり奥秩父随一の素晴らしさでした。二俣から西俣へと入り、引き続きゴルジュと小滝、苔むした沢床の創り出す姿は見事でした。ここにも大きな出水があったと見えて泊まりを予定していた「風の谷の泊まり場」も大きく流されていました。空が大きく開け、谷の音も静かで、流木も集めやすい大好きな泊まり場がなくなってしまったのは残念でしたが、苔むしたコメツガの静寂の森の中にステキな泊まり場を見つけました。大きな炎を上げて燃え上がる焚き火。木々の間から見えていた星が深夜に皓々と照る月に代わり、コメツガの木々を浮かび上がらせていました。ゴーロの間に点在する苔むした滝。一つ一つを丁寧に越えて国師ヶ岳が大きく見える開けた場所から主脈縦走路を目指します。登山道・・・そして、甲武信岳山頂。暗い谷底を歩き続けた者の前には沸き上がる雲と青空、そして八ヶ岳の雄大な展望がありました。

コブラ三木谷は死ね地獄に落ちろ(豹変) … 2424/12/19(木)10:01:23No ..

日和田山の岩場は全く初めて岩登りを体験するのに相応しい岩場です。目のくらむ様な高度感はなく、豊富な支点が設置されており、浮き石などもほとんどなく、本当の岩登りの基礎を安心して学べる貴重な岩場です。また、初心者がほとんどでヘタでも恥ずかしくない・・・、というのも魅力です。今回の講習で絶対に身につけてほしいことは二つ。基本的な岩の登り方と、岩登りのシステムです。取り付きであってもセルフビレーをして、トップをビレーし、トップはヌンチャクを支点としてセットしながら岩場を登り、テラスに着いたらセルフビレーをして「ビレー解除」を指示し、フォローへのビレーをして「登っていいよ!」の声をかけ、フォローはビレーされて初めてセルフビレーを解除しヌンチャクを回収しながら登り、テラスに着きセルフビレーをする・・・という一連の流れです。つまり、絶えず自分自身でセルフビレーという形で自身の安全を確保しているか、パートナーにビレーされて登っているか・・のいずれかで、一瞬も「誰も安全を確保していない」状況がないように心がける。これがシステムです。そして、今回、数多くのそれぞれの課題のあるルートを登ったことと思います。フェース、チムニー、小さなハング、それぞれに登り方があり、工夫が必要です。初心者の場合「手がパンパン」になるのは普通のことですが、本当は「足で登るのが原則です」。今回の講習は本当の最初の一歩です。この成果の上に、ぜひ、より大きな本格的な岩場でのクライミングに挑戦していただければ幸いです。

幸運にも、最後の到達点となった塩見岳山頂から振り返ると出発点だった北岳が遙か彼方にその尖峰を屹立させていました。その背後には甲斐駒ヶ岳と仙丈岳が大きく見えて、南へと目を転じれば荒川三山から赤石岳、聖岳、が遠く高く連なっていました。南アルプスの山の大きさと雄大さ、一つ一つの山の強い存在感を強く感じさせられました。歩きだしのピークだった北岳の遠さを思うと「人間の力もバカにできない」との思いを強くしました。出発前の予報が大きく変わったのは出発の前日でした。太平洋高気圧の力が落ち、寒気が入り、雷雨と悪天の予報が不安をかきたてます。二俣からはカッパを着ての登りでした。一日で1500m近くを制圧するキツイ登り、一歩登ってはため息をつき、立ち止まり着いた肩。明け方からの風と雨、憧れの北岳はソソクサと立ち去りました。寒さに打ち震えながらの間ノ岳への登り、山頂の影へと隠れた瞬間に富士山が見えて一瞬の内に大きな展望が広がりました。急に悪くなった熊ノ平への道。素朴なステキな小屋の一夜は満天の星空の中に明けました。今までの天候を振り払うような塩見岳への道筋。真青な空に一歩ずつ近づく大きな扇形の美しい山容。周囲に広がる圧倒的な展望の中を辿ってきた全ての行程を楽しみながら登る喜び!急峻なガレとザレを越えて登り着いた山頂。やり遂げた嬉しさに満ちた大縦走の完成でした。

タックルでテイクダウンするトキーニョだが、体を入れ替えバックを制したベルチャー、グランドコブラ ..

夏はアルプスの稜線と言えども、早朝以外は山が霞み、雲がかかり、遠望は効かない・・・ことになっているのに、早川尾根を歩いた時の展望は素晴らしかった・・・。日の出時刻直前の仙水峠は、甲府盆地へと大きく広がる雲海と、その上に連なる奥秩父の山々。まだ、暗い中に屹立する甲斐駒ヶ岳。上空は一つの雲もない快晴の下にありました。栗沢山へにの胸を突く登りは背後に広がる圧倒的な展望がグイグイと広がる中の道でした。摩利支天の右に鋭く八ヶ岳が姿を現し駒津峰の横に槍・穂高を筆頭とした北アルプスの姿が見え、中央アルプスが、木曾御嶽山が、そして北岳から仙丈岳、塩見岳から遠く荒川岳までが、大きく大きく見えました。強い傾斜の栗沢山への登りを制して立つ早川尾根の縦走はハイマツの海の中に続く岩尾根の道でした。所々、心配になるほどの原始的な道。ハイマツに隠れた踏み跡を捜し、岩の頭を踏み越えて進む道は南アルプス随一の展望の中にありました。「富士山に向かって進む」様な真夏の黒い富士山に一歩ずつ近づく様な尾根道です。岩の中を登り着いたアサヨ峰は山頂に大きな岩があり、その上に立てば北岳に手が届きそうな近さでした。再びハイマツの海にもぐり込むような降りは、やがて、ダケカンバが混じり、シラビソの中になり、原生林と苔の重厚な尾根となりました。早川尾根!次は鳳凰三山から辿ってみたいステキな尾根です。

僕が大常木谷が大好きなのは、出合から水源まで全て徹底的に原生林の谷であること、堰堤、伐採、林道等、一切の人工物がないこと、そして、生まれ育った近くを流れる多摩川の水源地帯であることです。一ノ瀬林道からの急斜面を恐々と降り、降り立つ一ノ瀬川は大きなナメを連続させ、降り立つ大常木谷は縞模様の沢床を見せてツルツルに磨かれて、最初から自然の庭園のような雰囲気でした。谷に入って僅かで両岸は上を見ても、どこまで続いているのか判らないほどに切り立ち、徹底的なゴルジュの様相を呈していました。釜をへつって取りつく五間ノ滝、上空から放水するようにザーッと大きな落差で滝水を落とす勇壮な千苦ノ滝、胸までの深さからついに足が着かなくなり泳ぎを強いられる山女淵、本物の廊下の様にゴルジュになった早川淵・・・・。息継ぐ間のない遡行の連続でした。心配した空模様は最も美しい不動ノ滝前後から夜のように暗くなり、少し焦りましたが全水量を放出させる不動ノ滝を乗り越えると谷は開け、美しい森の広がりの中にナメ滝を連ねて流れていきました。燃え上がる焚き火、回されてくるお酒、横になると木々の間から点々と光る星。谷の中で過ごす一夜は刺激的でした。縦走路までの沢の遡行。数年前の鉄砲水で荒れてルート判断に迷いながら飛び出した登山道。一転して明るい将監峠。やっぱり、絶対にステキな大常木谷です。


談笑するコブラ三木谷、失礼インタビュアー、英治郎鳶 [その他] 人の心を失う前.

二日目に将監峠へと向かう僕たちの足元には今年最初に出会う霜柱がありました。突然のように現れた秋。稜線のアチコチに点在するツツジの葉は見事に赤く染まっていました。唐松尾山は多摩川水系・奥多摩の最高峰でありながら、かつての奥秩父主脈縦走路が南面を巻いていたために殆ど顧みられることのない山頂でした。山頂北側の露岩からは足元に大きく切れ込む荒川水系滝川と雁坂峠から甲武信岳、十文字峠へと連なる僕の大好きな山々が並んでいました。和名倉山は、やはり遠く遙かな山でした。標高自体は山の神土から150mほどしか変わらなくても、西仙波、東仙波、を初めとして多くのピークが次々と現れて一つ一つを越えていくのは、それなりに大変でした。でも、時々刻々と変わる展望。コメツガの森からキラキラと光る笹原のトラバース、ダケカンバが美しく生えたガレ混じりの斜面。そしてかつての伐採跡が古い大きな切り株を苔むして並べた八百平。遠く南アルプスまで眺められ、雲取山から飛龍山、唐松尾山へと続く奥秩父の山々を北面から眺める貴重な展望と共に歩いた尾根でした。そして、森の中に、あまりに侘しくあった三角点。でも、どこが山頂か判らないような大きな平坦な山頂に相応しいかもしれません。地味で、静かで、誰にも会わなかった二日間。いかにも奥秩父の山旅です。

でもガバ穴ダディーの音源はコブラ三木谷登場からの盛り上がりがヤバいってそれいち.

鬱蒼としたシラビソ、コメツガの巨木。倒木の上に分厚く生えた苔の堆積。吐く息が全て森に飲み込まれるような奥深い原生林の中の登りでした。71年(使用は74年から)、南アルプススーパー林道が開通する前のこのあたりの森は、どこも、こんな感じでした。僕自身は70年3月の北沢峠・・・ちょうど今のバス停近くに雪の中、テントを張ったら夜中に頭上を座布団のような大きさのムササビが空中を滑走し度肝を抜かれました。あれから40年以上たち、スーパー林道開通の報に「二度と北沢峠には行かない・・・」と心に決めたものの、「転びバテレン」のように僅か750円で標高差500mを上がる文明の利器の前に膝を折りました。サルオガセがかかり、乾いた風の吹き抜けた北沢峠の思い出は、一度、山に入ればたちまちのうちに蘇ります。雪の残った藪沢。馬の背手前から山頂が見え、一歩ずつ、迫っていく感動は、ここだけの物です。頭上は晴れているものの、何故か周囲の山々にはガスがかり、鹿の食害で以前とは比べ物にはならないものの、それでも咲く沢山の花の中の登りでした。一気に登り上がる山頂。四方に広がる空間を大きく感じる場所でした。山頂から小仙丈岳への稜線歩きは、ハイマツの絨毯の中でした。南アルプスで最初に登られる3000m峰たる仙丈岳。足元に食い込むカールが再び高山植物で覆われる日の来ることを願いました。小仙丈岳までなら、冬に来れないか?そんな思いも交差する仙丈岳の穏やかな山容でした。

コブラってコブラ三木谷ですよねぇ? 違いますかぁ? 52 :名無しさん@お ..

別山尾根を登る登山道のわずか100m前後、山頂を支える一本の柱の様な四本のリッジ・・・。平蔵雪渓から取りつくルートは、技術的な困難はないものの、雪渓を渡り、シュルンドをくぐり、テラスに立ち登攀をするという剣岳ならではの岩登りが体験できます。あらためて思うのは剣岳は本当に素晴らしい山だと言うことです。室堂の喧騒の中を抜けて、雷鳥坂を登り切り、別山乗っ越しで初めて本格的に対面する大きな岩の塊・剣。明るく開放的で、剣沢を挟んで大きく剣岳と対面できるキャンプ場。深夜に起き、ヘッドランプで急ぎ足で取り付きへと向かう高揚した気持。前剣を越えて夜明けの空気の中に聳え立つ四本のArete。もしかしたら一番の核心部だったかもしれない取り付きへのトラバースから雪渓の下にもぐり込むように入り込み、ようやく立つテラス。浮き石が乗っかっているものの、岩そのものは硬く最近一気に増えた残置ハーケンも豊富でグイグイと登れる快適さがありました。背後に針ノ木岳が鹿島槍ヶ岳が、槍、穂高がそして富士山までが見える素晴らしい展望の中、登攀を続ければ傾斜も落ち、直下へと登り着きました。
剣岳は無数とも言える岩壁ルートを持つ日本で唯一の完璧なアルパインクライミングの山です。一泊二日で登れる物は少なく、チンネ、三ノ窓、池ノ谷などはテントを出て登攀を終えて帰ってくるまで最低でも15時間はかかります。それだけに体力勝負の山です。本格的なヤマヤのための剣岳・・大好きです。

コブラ三木谷ガンボルけっこうすき; 44 :それも名無しだ :2021/05/07(金) ..

静かに炎を上げる焚き火。釣り損ねたイワナが、ユラリと岸辺近くまで泳いでくる淵。透き通っているのにエメラルドグリーンの水の色。頭上を覆う見事なシラビソの森。他の遡行者の姿もなく静まり返った北アルプス最奥の谷にいる嬉しさが込み上げます。稜線にも山小屋にも、あんなに沢山の人がいたのに人の気配も、人の泊まった形跡もまったくない谷間。今、黒部の中にいる・・・、それを実感しました。明るくなると一斉に鳥が鳴きます。ようやく明るくなりだした頃、薬師沢出合からここまでの明るい雰囲気とは変って、ミニゴルジュの中の冷たい徒渉をしました。そして、あの赤木沢出合の自然の堰堤のような見事な広い滝に出会いました。その上にも滝があり黒部川全体を通じても最も美しいだと感じます。赤木沢に入ると明るい開けた中に次々とかかるナメ滝。サラサラと流れる中を越えていく爽快感は、ここだけの物です。背後に大きく見える水晶岳から薬師岳にかけての北アルプス最奥の壮大な展望を楽しみながらの遡行は最高でした。水源地帯に入ると左右に小さな高層湿原があり、見事なお花畑が続きます。靴を履き替え、目指す稜線への道も足の置き場に困るほどの花、花、花。登山道から因縁の北ノ俣岳を目指しました。足元に食い込む、薬師沢、太郎沢の優美な広がり、越えてきた赤木平の美しい草原。そして背後に大きい黒部五郎岳。大変なアプローチと遠い、遠い折立への道、そして長かった炎天下の薬師沢への道を割り引いてもやはり、ステキだった赤木沢です。今度は薬師岳下の「鳶谷」なんかにも行きたくなってしまいました。

こんすけ整体師はキャンプとかにいるとガチで気まずい雰囲気流れそうなので、アンアンうるさいオネエデブだとしても島田のほうがマシ説.

前日から雲の動きを注視し、ガスの流れに一喜一憂した西穂山荘の一夜でした。無事、河童橋へと下山し、見上げた西穂高、奥穂高の間は、天狗のコルから上の姿を待っていたように登場させ、ジャンダルム、ロバの耳などが天空を突き刺す見事なラインで眺めることができました。実際には歩き通したはずなのに、どうしても、そこを歩いた実感のない恐ろしげなギザギザが曇り空の下にありました。真っ暗な中でのヘッドランプを点けての出発。ガスが動き笠が岳が見えた時の嬉しさ。そして南アルプス、八ヶ岳、富士山が見えた感激。独標からは前穂高から、これから向かうジャンダルムが意外に近く見えました。以前より大分、歩きやすくなった西穂高への稜線。一つ一つのピークを乗り越えて、ひょっこり飛び出した西穂高からの道は振り返ると最も厳しい道でした。いきなり、痩せてくる稜線。動きやすい浮き石。ペンキのマークも少なく、次々と現れるクサリ場や、微妙なトラバースを繰り返していきました。知らぬ間に通過した赤岩岳、思いの外、早く着いた間ノ岳、そして、かつて霙の中を通過した天狗岳。天狗のコルに着いた時、正直「ホッ」としました。そこからは穂高連峰のど真ん中を進む完璧な岩の中の登りでした。ガスの中のジャンダルム、高度感に悩まされたロバの耳。そして、ザイルを解き人々の集う奥穂高頂上での感激。ついに、ついにやり遂げた厳しい縦走でした。

その発言のほとんどは文字起こし化が非常に困難、というか最早喘ぎ声なのかすらも怪しいほどの奇声が占めている。 ..

光溢れる古い山里の郷原を後に、落ち葉を踏みしめる賑やかな音をたてながら、やっと傾斜の落ちだした「ツネ泣き峠」。その少し上、右側から明瞭な尾根が合流した場所から振り返り権現山から坪山へと伸びるキツネ色の尾根の後に頭だけキラキラと白く見せた富士山が見えました。一歩、登る毎に成長する富士山。その姿の全容が見えたのが槙寄山の山頂でした。冬枯れの葉を落とした明るい尾根は展望の尾根でした。終始、見え続けた富士山。西には黒々とちょっと近寄りがたい雰囲気のある大菩薩、そして奥秩父の山々。北側には、大きく独特の山容を見せる大岳山から御前山、南には丹沢から道志の山々が冬晴れの空の下明るく見えていました。笹尾根が、この長大な尾根の中のどの部分までをさすのか、正確には判らないけれど、丸山を過ぎる頃からスズタケが現れました。僕が初めて歩いた1970年前後、この尾根の南北の傾斜の緩い斜面には随所でカヤが育てられていました。山麓の家々の屋根はまだ茅葺きが多く、その材料を下ろしていたのでしょう。随所に炭焼窯があり、雑木林は、その材料となっていました。山麓から登ってくる峠道は多くの人に歩かれ、稜線上よりもはるかに明瞭な道がありました。今でも山里の人々の生活の音が聞え、南秋川を挟んだ浅間尾根の中腹には点々と人家が見られます。奥多摩、とりわけ秋川上流の山々に人の暮らしがあったことを思い出させる笹尾根でした。

でも決してうるさいわけではなく心地良く丁度良い。小さく叩いたり、ハード ..

ジリジリと照りつける太陽、グイグイと空に伸びていく積乱雲。奥多摩の緑が一気に勢いを増して、山一杯にセミの声が響く夏がやってきました。この時期にこそ楽しめる水根沢は、青梅街道から入ること僅かに5分。小さな集落の中を流れ落ちる谷です。谷に入って僅かで両岸は黒々と立ちはだかり、その中を狭く、深く、流れる谷の様子はまるで深山の幽谷そのものです。最初のゴルジュで腰まで浸り、一端開けた後、再びのゴルジュは胸まで水にはいりました。ドードーと流れる水音。一つ一つの滝そのものは大きくなくても、その通過は微妙なバランスを強いられ時々、ボチャンと落ちることの繰り返しでした。見上げる空は迫ってくるゴルジュに狭く区切られ、その斜面を覆う緑のカーテンと共に見事な渓谷美を作っていました。水根沢は実は里に近く、山仕事にも多用されていた谷のため、僕自身が知っている45年ほどの間にも大きな変化がありました。最初の頃は、上部の森林の伐採の真っ最中。「お金になる木」とのことで杉、檜が植えられ広葉樹が谷を埋めたこともあります。「鉄砲出し」という谷を材木で埋めて人工的に鉄砲水を創り出し、大規模に木材を搬出することも行われていました。沢山の「ワサビ田」が作られ、谷のアチコチで働く人の姿を見たこともあります。その後、鹿の食害による土砂の流入、それが流されて今の姿があります。大滝、半円ノ滝。勇壮で優美な滝がステキに復活したことを嬉しく思います。

三丁目の恋人はネコ!? ネコは恋人? 名木田恵子/作 風間すずめ/画.

奥秩父荒川水系・北面の山と谷は、毎回、クタクタに僕たちをシゴイてくれます。甲武信小屋・北爪さんから入山前夜の夜半の大雨を聞かされて慎重モード全開の状況で降りだした天狗岩トンネルからの踏み跡。豆焼沢を渡っただけで恐れを感じる水圧。軌道跡に上がり、もう一度、滝川本流に降りようと降りだして、やっぱり引き返し、もうただ一つだけ残された滝川右岸の歩道をトラバースすることにしました。曲沢までは踏まれた道も、金山沢に向けては途切れ途切れとなり、金山沢に着いた時には既に三時近く。そこからの遡行となりました。次々と現れる大小の苔むした滝。時間も四時半になり、サワグルミの大きな木の林立する中にタープを張りました。散々苦労した上でようやく燃え上がった焚き火。出合からの遡行ではないものの、大きな山の大きな谷でドップリと浸って泊まれることに満足しました。明るくなると同時に出発。まだまだ水量も多く、滝も続き、それが少しずつ分厚い苔に覆われるようになっていきました。大きな伐採小屋の跡から尾根に上がり、前方に見えた赤テープはヒルメシ尾根の巻き道でした。誰もいない、展望もない和名倉山山頂に立ち、再び巻き道から曲沢に入りました。急峻なゴーロを滑り降りるような降りにくい沢筋も苔むした滝の連続に変わり、黒々とした滝川流域独特の沢の様相を見せていました。そして、降り着いた右岸歩道。再び登り着いた国道140号に着いた時は満足感で一杯でした。また、絶対に来たい滝川です。