コブラ台風 | 第二艦隊転進ス 進路目標ハ未来 | 歴史・時代小説
1944年12月14日にフィリピン東方で発生が確認された『コブラ台風』は西北西へ進路を取り、やがて北西へ進路を変えて第38任務部隊へ迫りました。
これはアメリカ軍による観測結果なので艦隊でも台風の存在は認識しており、特に対空火器の増設で艦の規模に対し重心が高くなりすぎていたファラガット級など戦前建造の旧式駆逐艦は危険だとして、重心を下げるため早めの燃料補給が命じられています。
これはアメリカ軍による観測結果なので艦隊でも台風の存在は認識し ..
1944年12月に『コブラ台風』へ出くわした第38任務部隊の総指揮官(第3艦隊司令長官)、ウィリアム・ハルゼーJr大将もアメリカ海軍の指揮官の常として、どうやら『神風』を侮っていたようです。
しかし台風のスピードは予想外に早く、荒れ始めた海面で燃料補給を断念した駆逐艦は、最低気圧907ミリバール(当時は今と違って気圧の単位がヘクトパスカルではない)に達するコブラ台風へ、12月17日から18日にかけモロに書き込まれました。
これくしょん』の艦娘→フレッチャー級(艦隊これくしょん)概要第二次世界大戦中に製造されたアメリカ海軍の駆逐艦の艦級。一番艦 ..
この台風は「コブラ台風」と呼ばれ、昭和19年12月14日にミクロネシア付近で発生し、西に進みフィリピンに近付きます。
">*36、姉妹艦のモントレーやカウペンス、サン・ジャシントが損傷するなど大きな被害を受けたが、ラングレーは左右に35度も振られるような大波に翻弄されながらも被害なくすんでいる。もコブラ台風に遭遇したが無事生還している。
ただ、日本海軍は第四艦隊事件以来対策したので1944年12月のコブラ台風による ..
このコブラ台風で第38任務部隊がこうむった損害は駆逐艦3隻沈没、軽空母4隻、護衛空母4隻、軽巡洋艦1席、駆逐艦10隻、支援艦艇3隻が損傷を被り、多数の艦載機を失ったほどで、戦艦や空母など主力艦こそ大きな損害を受けなかったものの、『1度にこうむった損害としては第1次ソロモン海戦以来』とすら言われます。
これに対し、日本軍は最後の手段として航空攻撃の成功率を少しでも高めるべく、命中するまで爆弾を積んだ戦闘機や爆撃機をアメリカ軍艦艇へ突入させる非情の特攻作戦を開始、『神風特別攻撃隊』と名づけます。
その由来は、命名者の第一航空艦隊首席参謀・猪口力平の郷里の道場『神風(しんぷう)流』と、海軍第201航空隊の玉井副長による『(元寇のような)神風を吹かせねば』双方と言われていますが、もちろん元寇と神風とは海上の嵐、大規模なものなら台風です。
第四艦隊は、損傷の激しかった艦を除いて演習に参加したという。 なんとも強気の日本海軍である。 コブラ台風.
なお同じ頃、第7次多号作戦の『オルモック夜戦』で生き残りながらも片舷航行となり、本土へ修理のため回航途上だった日本海軍の駆逐艦『竹』もコブラ台風に遭遇していますが、波浪対策で優れた日本艦であったこともあり、損害もなく無事通過しました。
ところが、予測に反して「コブラ台風」は北西に進路を取ったままで、発達しながら第38任務部隊が補給を予定していたフィリピン東方沖に進み、ハルゼーの艦隊は台風に直撃されることになります。
のちの米大統領ジェラルド・フォードが軽空母モンテレー勤務だった時にそのコブラ台風が直撃。
この時、艦隊に属していた駆逐艦などの小型艦では、艦載機の発艦などで高速で航行する航空母艦に随伴するために燃料消費が激しく、燃料タンクの残量が少なくなっている艦が多数あり、これらの艦艇は重心が上がってしまい、強い風により船体が大きく傾く可能性がありました。
……ただコブラ台風騒動が起きたのが1944年の12月で、日本にとっては少々 ..
中心気圧935hPa、大型で非常に強い台風で、記録的な被害が発生する可能性があります。
18話・太平洋戦争中に吹き荒れた本当の神風(台風) | 漂泊の日々
仮に沖縄戦初期にこの損害を受けていれば、戦艦『大和』特攻作戦などどうなっていたかわかりませんでしたが、『昭和の神風』は気まぐれで、そこまで都合よく日本のためには吹かずに終わったのでした。
駆逐艦が深刻なダメージ、巡洋艦クラスに損傷コブラ台風+αな損害になるかと
「コブラ台風」の直撃を受けたハルゼーの艦隊では、駆逐艦3隻が沈没、航空母艦3隻・衛航空母艦2隻などが大きな被害を受けています。